BEFORE
「見るがいい!!これこそを、神の力というのだ!!」
エネルが両手を広げ天に突き上げたとき、それまで青く澄み渡っていた空が一転し、にわかに掻き曇った。
黒雲が空を覆い、渦を巻き、雷鳴が轟き始める。
「何…これは!?」
ナミが、風に巻かれる髪を押さえつけながら叫んだ。
「ナミ!離れるな!!」
ルフィが叫ぶ。ゾロとサンジは、それぞれの旗を掲げ持つ侍従を下がらせた。
だが、ウソップだけは、碧皇帝の象徴を染め抜いた旗を両手で押し立てて動こうとしない。
ゾロの頭から、あの草の冠が風に飛ばされていった。
「ウソップ!下がれ!!」
「嫌だ!!退かねェぞ!!」
その瞬間だった。
凄まじい爆裂音と共に閃光が宙を貫いた。
その光の矢は、真っ直ぐに
「ウソップ―――!!」
叫んだ声はサンジのものだ。
声もなく、ウソップの膝が崩れていく。
まるで、ひとコマひとコマの影絵を見るような光景。
エネルの、狂った様な笑いが響き渡った。
「ウソップ!!!」
ゾロが叫んだ。
しかし
ウソップは倒れなかった。
旗の柄で、体を必死に支え、落雷の直撃を食らって焼け焦げてしまった旗を、必死になって倒すまいと立っていた。
「雷…!?」
震える声で、ナミが言った。
創生主・『混沌』が、大陸に十字を刻んだ力は雷(いかずち)。
その力を、あの男は持っているというのか!?
狂声があがった。
恐怖は伝染し、燈の軍勢がどっと後退した。
それはエネル自身の碧の軍も同じである。
ただでさえ、恐れている皇帝が、想像もしていなかった恐怖の力を持っていると知れば誰でも恐れを増す。
その頃、フランキーとロビンがそれぞれに率いる軍隊は、碧と燈の両軍が睨みあう草原への道に差し掛かっていた。
にわかに空を覆った不自然な黒雲は、彼らの目にも見えている。
そして起こった叫声のどよめきは、二人の耳に届いていた。
「何が起きたんだ!?」
「…あの雲、嫌な感じがするわ…。」
「急ごう!騎馬隊!!先行するぞ!!着いてこい!!」
フランキーが馬に鞭を入れた。
それを見送り、ロビンは逸る気持ちを抑えた。
軽率に、走り出すことは出来ない身がもどかしい。
「麗しの女王陛下。」
突然の声に、ロビンは声の主を探す。
だが、姿はない。
いつものことで、今更驚きはしないが。
「エース?どこ?」
「すぐお側に、陛下。」
「兄上に会いに来たの?」
「…あー…バレたか…悪いねェ、猪突猛進な兄で。サンジの側には“とりあえず”ゾロが居る。心配ねェって。おれも、様子を見に行ってくるよ。」
「…いつもあなたに助けられてしまうのね…。」
「……なぁ、ロビン……。」
「…何?」
「全部終わったら、サンジをおれにくれないか?」
「…エース?」
「あんたが2人を許したのは知ってる。でもダメだ。…サンジの為を思うなら、ゾロに渡しちゃいけない。」
「どういうこと…?」
「………。」
「エース、理由を話して。ルフィの事ならフランキーに聞いたわ。でも、本当にそれだけが理由?」
「話せば、サンジをくれるかい?」
「いいえ。」
ロビンはきっぱりと言った。
「あの子は、ゾロを愛しているの。」
「………。」
「エース?」
と、ロビンの少し後ろで馬の手綱を取っていたカリファが、ロビンの様子に気付いて馬を寄せてきた。
どこまでも、大事な女王についてくる、心強い友人。
「陛下?いかがなされました?」
気配が消えた。
「…なんでも…ないわ…。」
赤い髪の弟が生まれた時、エースは嬉しかった。
他愛のない願だった。
元気な赤ん坊でありますように、一緒に、たくさん遊べる弟がいい。
誰にも自慢できる兄がいる。
だから今度は
誰にも自慢できる弟をください。
それだけしか、望まなかった。
自慢できる弟のはずだった。
紅天竜神の御子だ。
なのに、自分以外は誰も、そのことを喜ばなかった。
少しずつ、その理由がわかり始め、とんでもない荷を、ルフィに負わせてしまったことが申し訳なくて、
狂い始めた母に申し訳なくて、自分に出来ることを、命がけでしなければならないと思った。
ルフィから剥ぎ取った力は強大で、ただの人として生まれたエースには強すぎた。
体内に鉄をも溶かす溶鉱炉を抱え、そこで常に炎を炊き続けている状態。
若い肉体のみのパワーで、なんとか今日までもたせてきた。
放出することは命を削り、もうエースの内臓はぼろぼろだ。
もし、自分のせいでエースが死んでしまったということになったら、ルフィは己を呪うかもしれない。
生涯の傷になりたくない。
そして何より、ルフィに嫌われたくなかった。
炎を、抑える力は水。
ルフィにサンジを与えるためではない。
自分自身が、サンジを欲しいのだ。
そうでなければ、この力に焼かれて燃え尽きてしまう。
その事に、察しのいい兄は気づきはじめている。
二重の枷を負わせたくない。
エースは死ぬ訳にはいかなかった。
そして、ただ力を抑える為だけにサンジを欲したのではない。
初めて会った時、サンジは9歳だった。
ルフィと同じ年頃の少年に、哀れを感じた。
剥ぎ取る術も無いほどの強大な力。抑えるしかなかった。
幼いままのサンジはエースに良く懐いた。
封印を解いたサンジは、年を経る毎に賢く、聡くなり、姿は美しくなっていく。
愛するな、という方が無理だった。
力も、心も、全て欲しかった。
「この口惜しさ、ぶつけさせてもらわなきゃ、やってられねェんだよ。」
エースは、兄の騎馬隊を追うように走り出した。
黒雲の立ちこめる下へ。
「ウソップ!ウソップ!!」
ウソップの両肩を支えて、ゾロが叫ぶ。
それでもウソップは倒れず、わずかな意識の底から、血を吐くように言った。
「…何…やってんだ…ゾロ…宣旨だ…怯まず…玉宣を言え…!!」
「だが…!」
「…頼む…早く…!エネルに…これ以上…。」
意識が途切れた。
ウソップの体が崩れ落ちる。
「ウソップ!!」
叫ぶゾロの頬を、サンジの拳が殴り飛ばした。
「ゾロ!!宣旨だ!!ウソップは、旗を倒していない!!」
「…!!」
「ゾロ!!」
ルフィも叫ぶ。
「早くしろ!!」
「どよめきがこれ以上大きくなったら、声が届かなくなる!!早くして!」
ナミも。
「ゾロォ!!」
ウソップの体をサンジに預け、ゾロは立ち上がる。
そして
「天よ!照覧あれ!!大地よ!音に聞け!」
と、エネルが手を振り上げ
「させぬ!」
再びの雷鳴!
いかずちの矢は、まっすぐにゾロを貫くかと思った。
サンジには、雷を避ける力は無い
「ゾロ!!」
だが、雷はゾロに当たらなかった。
「ち…外したか。」
「翠天源神!汝の息子がここに宣する!我は碧第106世皇帝、ロロノア・ゾロ!!」
「無礼千万!!」
雷雲が逆巻く。
風が、烈風となって辺りを覆う。
「吾は混沌の御子にして大地を司るものなり!!皇帝を僭称する不届きもの!!お前を滅する!!」
そして、轟音を鳴らす雲から、何本もの雷の矢が降り注ぐ。
「万雷!!」
喚声があがった。
恐怖に引きつった悲鳴が幾重にも重なる。
燈の軍も、碧の軍さえも。
直に、そこに辿り着こうというフランキーでさえ、あまりの光景に馬を止めた。
「なんだ!?ありゃあ!!?」
さらに遠くから、ロビンもそれを見る。
「何が始まっているの…?」
そして、エース。
「混沌の力…!?何故…!?」
雷鳴と、逆巻く風の轟音。
その中を、エネルの狂った笑い声が響き渡る。
整然と陣を整えていた燈軍と碧軍は、もはや収拾のつかないまでに混乱していた。
わずかに残った理性は、その場から逃れることのみに集中し、まるで蟻が逃げ惑うように草原を右往左往する。
その中で、
「ナミ!ウソップを頼む!!兵を引け!」
ゾロが叫び、腰の剣を抜いて再び馬上の人になる。
「ゾロ!おれも行くぞ!!」
サンジが叫んだが、ゾロはそれを制して
「…お前に頼みがある。」
「何だ?」
「碧の軍勢を…エネルから引き離してくれ…。」
「………。」
「恐怖で混乱しきってる。このままじゃ、あいつら味方同士で潰し合いになっちまう。」
「…わかった…。」
サンジはにこりと笑い
「任せろ。」
と、軽く答えた。
サンジは、ウソップを抱えたまま立ち上がった。
と、ルフィが「こちらへ」というように手を差し伸べる。
気を失っても尚、ウソップは手にした旗を固く握り締めたままだ。
ルフィにウソップを託して、サンジは混乱の草原を振り返る。
降る雷。
響き渡るエネルの笑い。
ゾロは、血が滲むほどに唇を噛み締めた。
(…大地の力…おれにそれがあったなら…!!)
姿形ばかりの神の子など、今、この場でなんの役に立つ?
しかも、それよりも尚強い力を、あの愚かな兄が手にしている。
こんな事があっていいものか!
吹く烈風に身を晒しながら、サンジは腕や耳に施された封緘の全てを外し、草原の上へ投げ捨てた。
途端に、白い肌が青いオーラに包まれる。
サンジは、大きく息を吸った。腹の底から力を搾り出すように大きく胸を反らし、手を、軽く上げ、どこか恍惚とした表情を見せた。
異変は、瞬く間に起こった。
暗雲立ち込める空の下を、まるで白い絹のような濃い霧が刷かれた。
「何だ…!?」
エネルが動揺する。
黒雲は変わらず空にある。
なのに、辺りが霧に包まれ、何も見えなくなった。
エネルの周りだけに。
「これは何だ…!?何も見えぬ!!」
霧はますます濃さを増し、エネルを取り囲む。
輿を担ぎ上げていた侍従たちは、恐怖のあまりに腰を抜かした。
投げ出されることこそなかったが、エネルは白い闇の中に取り残される。
エネルが力の放出を止めたことで、雷は止んだ。
その間隙を縫い、ナミは燈軍を引かせ、ゾロが碧の軍勢の中へ身を躍らせる。
「引け!!今は引け!!」
『皇帝』を称したゾロ。
その言葉に、一部の部隊が動いた。
それに合わせる様にさらにゾロは叫ぶ。
「碧へ引くものは引け!!おれにつく者はこのまま付いて来い!!」
と、どっと軍勢が沸いた。
戸惑うものもいる。
躊躇わず、東へ向かうものもあった。
だが、周りの軍勢の兵は、ゾロに一歩でも近づこうと寄せてくる。
皇帝の恐怖政治に不満を抱いていたもの、ウソップの信念に心打たれたもの、ゾロ自身に希望を抱くものは当然のことだ。
だがそれでも、やはり恐怖に打ち勝ち、未知数のゾロへ己の人生をかける勇気を持つものは少ない。
増して、これはエネルの直属軍なのだ。
それぞれの国へ向かった将軍たちもいる。
それらを、果たして倒せるのか…。
ゾロを見送り、サンジはナミやルフィ達からも気づかれないように、そっとその場を離れた。
天を仰ぐように、サンジはただそこに立っているだけのように見えた。
水の力を操り、霧を起こしたのはサンジだ。
閉じていた目をゆっくりと開き、サンジは草の上にしゃがみこむと、そっと地に手を当ててつぶやく。
「…ごめんな…。」
次の瞬間。
サンジが手を着いた場所の草が、見る見るうちに枯れていった。
まるで矢が地中を進むかのように草が枯れていく。その一筋の線は、真っ直ぐにエネルへ向かって放たれていった。
枯れた草の痕は、ひび割れて、ガラガラと音を立てて地中へ崩れていく。
その先端が、エネルに届いた。
「う!?」
エネルの全身が硬直する。
足が、地に根でも生えたかのように動かせない。
そして、その足の裏から、自分の体内から何かが吸い出されていくのがわかった。
「う…ぐあああっ!!」
こんなことが出来るということを、誰にも知られたくない。
だが
「やめろ、サンジ。」
その声に、サンジは全身を震わせた。
「…それはお前の仕事じゃない。」
肩を、優しく掴まれた。
その手の温もりを知っている。
瞬間、青く淡い光が肌から消えた。
「………。」
振り返り、サンジは泣きそうな顔で笑った。
「エース…。」
崩れるサンジを、エースは抱きとめた。
同じことを、サンジは幼い時にしてしまった。
相手は、母だった。
自覚はなかった。
ただ、手を差し伸べただけだったのに、母はサンジに体内の水分全てを吸い尽くされて死んでいた。
その時の己の感情を、サンジはよく覚えていない。
悲しかったのか、憎かったのか…。
今はただ、ゾロを救いたかった。
ゾロのために、自分の力の全てを捧げたかった。
「…でも…おれは…。」
「…お前がそれをしたと知ったら、ゾロは自分を呪うぞ。」
「………。」
「…愛しているなら、それ以上はしちゃいけない。」
抱きしめられながら、サンジは小さくうなずいた。
水の力。
操り、放出した後は、使った力の分だけそれを補う為に、新たな水の力を体が勝手に望んでしまう。
使いたくなくても零れ落ちる力。
かつてエースが施した封印は、それを抑える為だけにした物ではなかった。
勝手に、体が望んで奪い取る力を、抑える為のものでもあった。
だから、自然の力が溢れる場所では、封印を解くことができていたのだ。
エースが、常に体内で炎を燃やしているのと同じように、サンジは体内の器に常に水を満たしていなければならない。
それは…。
「行こう、サンジ。“仲間”が待ってる。」
エースに促され、サンジはようやく顔を上げた。
悲しい笑顔のその頬に手を当てて、エースも小さく笑った。
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(2008/5/1)
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