BEFORE
「…ウソップ?」
この叫声の中、友の声が聞こえたような気がした。
「……クソ…空耳か…?」
息が切れる。
苦しい。
目もかすみ始めている。
甲冑が、重い。
それでも
「…まだ、倒れやしねェよ…!」
仰ぐ天に黒雲。
エネルの起こした雷雲だ。
あれに、勝つことができるか?
いや、勝つ。
勝ってみせる。
もう、躊躇う必要はない。
サンジは、体についた封緘の全てを剥ぎ取り、地に投げ捨てた。
もういらない。
これを、再び身につけることはもう無いのだ。
サンジは馬上から天を見上げ、両手を大きく広げた。
全ての気を両手に篭めて、漲らせる。
全身から立ち登る、清涼な淡いオーラ。
天に昇り行くそれは、一匹の龍のように大きくうねり黒雲へ向かっていく。
「あれは何!?」
燈軍の中で、ナミが叫んだ。
その声に、ルフィもそれを見る。
「…サンジ…?」
呆然と、つぶやくようにルフィは言った。
「え…?」
「…サンジ…サンジだ…!!」
叫び、ルフィは馬から飛び降りた。
「ルフィ!」
答えず、ルフィは走り出す。
ナミは、天を駆ける青い龍を見上げて、息を呑んだ。
「…サンジ…くん…?」
同じ時、ロビンもまた
「…まさか…。」
そしてエース。
「…躊躇いはないか……お前らしいよ…サンジ…。」
エースは、大きく息を吸った。
そして、散歩でもするようなゆっくりとした足取りで、エースは龍の足元へ向って歩き始めた。
一方、エネル。
あの弟さえ消せば、全てが終わる。
この戦で、戦死させさえすれば、混沌の力は完全に自分の物になる。
あの時、ゾロの母親と交わした禁術の誓紙。
あの誓約は絶対だ。
ゾロの母は、決してゾロを謀殺しないことを約束させた。
暗殺を企てても、刺客を送ろうとも、ゾロがそれを免れたのは母が神と交わした誓約だったからだ。
その忌々しい神の加護も、これだけの黒い思念で覆いつくした戦場には届かない。
そして、その代わり、エネルもゾロの母に誓約させた。
この力を、エネルの器に納めておく期限。
それは、決して訪れることのない条件だった。
その確信が、エネルを驕らせる。
「この力は吾のもの。決して返さぬ。弟よ、只人のまま逝くがよい。せめてもの情け、お前の骸は、お前の父たる翠天の治める地に返してやる!!」
狂った笑いを挙げながら、思うように動かぬ体を奮い立たせる。
碧の皇太子として生まれ育ちながら、早くに後ろ盾たる母を失ったエネルの立場は実に不安定なものだった。
側室たちの邪険な態度や、あからさまな排除の手段に晒されながら育ち、ようやく間もなく成人するという時に生まれた末の弟。
高齢の身で、醜い老醜を晒しながらも色欲だけは忘れず、禁を侵して巫女を奪いゾロを孕ませた父親。
そうやって生まれたその子が翠天の御子?
許せるはずがない。
愛することなどもっとできよう筈がない。
なのにあの弟は、全ての祝福を得て生まれ、母親の愛すら一身に抱いて、その母を失ってもなお温かな家庭を持っていた。
目障り以外の何物でもない!!
誓約が、エネルの手で殺すことをさせないのなら、生まれ持った運命に殺させてやろう。
藍に混乱をもたらし、己の不運を呪いながら死ねばいい。
だのに何故?
何故、全ての国々がそれを許すというのだ!?
どこまでお前は、吾に逆らう!?
「お前さえいなければ全てが解決する!!吾はお前に手を下せぬが、他の者にはそうではない!!――――万雷!!」
雷鳴が轟く。
「させるか!!」
サンジの手が一閃される。
水の龍は大きくうねり、黒雲の中心に向って突進する。
龍は雲を攪拌し、吹雪の息を吐いて雲をさらに凍りつかせていった。
「…何!?」
目が眩む。
息が切れる。
サンジは馬から降り、地に膝をついた。
途端に、サンジの周囲の草が枯れ、大地が赤茶けて乾いていく。
その赤茶けた草の上に、馬が倒れこむ。
「ごめん…許してくれ…!」
サンジの異変に気づいた兵士の1人が、駆け寄ろうとしたが
「来るな!!死にたくなかったらおれに近寄るな!!」
「殿下!!?」
「来るな!!誰も来るな!!…来ないでくれ!!」
潤いを失った大地が、割れ、崩れていく。
だがサンジは、力を放つことを止めなかった。
その光景は、全軍の至る所から見えた。
燈軍の中で、ナミが叫ぶ。
「朱天侯神の力は風…風の力があったら、あんな雲、吹き飛ばしてやるのに…!!」
ナミは、橙色の髪を持って生まれた。
だが、ナミの目は金色ではなかった。
朱天の御子ではない。
幸福な時代を過ごした燈に、御子など必要はなかったのだ。
「でも…少し…ほんの少しでも、あたしにその力があるのなら…お願い…答えて…!!」
手が真っ白になるほど力をこめて、ナミは祈った。
雷を呼ぶ黒雲を、サンジの生み出した水の龍が破壊していく様を、エネルが大人しく見届ける訳もない。
「不届き千万!!」
「!!」
いかずちが、地上のサンジめがけて走る。
その光の槍の落ちる方へ、ゾロは振り返り叫んだ。
「サンジ!!」
その絶叫と、雷音、爆裂する音の中を。
「サンジ!!」
もうひとつの声がサンジの耳に届く。
そして、体がふわりと宙に浮いた。
「…誰だ…!?」
抱えられ、サンジは大きく跳躍した。
その腕の主。
「ルフィ!?」
「おう!!」
「…!!放せ!!おれを放せルフィ!!」
封緘は全て外れている。
今のサンジは、触れた相手の全ての力を奪いとってしまう。
だが
「ルフィ…?」
「おれは大丈夫だ!!おれは紅天龍神の子だからな!!」
「…でも…!!」
「サンジ。」
「なんだ?」
ルフィは、ひらりと地に降り立った。
戦場から少し離れた、岩場の上。
ルフィは、サンジを見て笑って言った。
「ほら、なんともねェだろ?」
「………。」
「大丈夫だって信じれば、大丈夫!なんとかなる!!」
その時だ。
「サンジ――!」
声に、2人は振り返る。
「ウソップ!!」
「ウソップ!お前、どこに行ってた!?」
サンジの問いに、ウソップは一瞬眉を吊り上げ、そして
「!!?」
鈍い音がした。
ウソップの拳が、サンジの頬を思い切り殴った音だった。
ルフィは、驚いた顔をしはしたが、何も言わずウソップを見た。
「バカ野郎!!」
「………。」
殴られる理由に、心当たりがある。
サンジは、よろめく足を踏みしめて、小さく笑い
「!!?」
ウソップを殴り飛ばした。
「……!」
また、無言のままウソップは拳を振り上げる。
その手を、ルフィが止めた。
「放せ!ルフィ!!コイツ…このバカ…!!バカが!!」
「………。」
「…ワケは聞かねェけど…止めろウソップ。」
「う……。」
腫れ上がった頬をさすりながら、サンジはつぶやく。
「…初めてだな…誰かに殴られるのは…。」
「……いくらだって殴るぞ…お前ェがわかるまで、何度だって!!」
「何度殴られても、おれの心は変わらねェ。」
「させねェ!誰が止めなくたっておれが止める!!」
叫んで、ウソップはサンジの手を掴んだ。
「触るな!!」
「うるせぇ!」
「バカ!そういう意味じゃねェ!封緘全部外してるんだ!!今のおれに触るだけで…!!」
「かまわねェ!!」
「ウソップ!!」
引き剥がそうとすればするほど、ウソップの力は増して来る。
力で弾き飛ばすのは簡単だ。だが、できない。
「ロビンの所へ戻れサンジ!」
「嫌だ!!」
「…死にてェのかよ!?てめェ!!?」
「死にたくない!!」
血を吐くような叫びに、ウソップは一瞬たじろいだ。
「誰が死にたいなんて思うかよ!生きられるもんなら生きたい!!あいつと生きたい!!」
白い顔が、ますます白く青ざめている。
「だけど共には生きられない!なら、こうする他ねェだろう!?」
「方法はある!!」
ウソップの言葉に、サンジは目を見開いた。
「お前と交わったことでゾロの封印が外れた。お前はそれを、お前の力のせいだと思ったんだろう?」
少し考え、サンジはうなずいた。
「そうじゃない。あれは外れるべくして外れたんだ。」
「…え…?」
自然に口を突いて出た言葉に、ウソップは自分でも驚いた。
その瞬間に、失われた記憶が一気に甦る。
『…もう、大丈夫…ゾロの力さえ…れば…例え蒼天の王子と巡り会って…互いに惹かれ合ったとしても…
……の、様な事にはならないから…。そうすれば…決して不幸にはならないから…。』
『パンギーナ。これを、あの子の耳に。いましている“2つ”は封印。そしてこれは…。』
ゾロの母親の言葉を、ウソップは思い出した。
『残るひとつのこれは“鍵”…成長したあの子があの子の意志で、自分の運命を選び、
巡り会うべき人と巡り会い、強さを願った時に封印を解く“鍵”。
…私は私の勝手で、この子の力をエネル殿下に渡してしまった…。
決して成されることのない条約を、受け入れてしまった…。
大人になったあの子に…その真実を知られて、憎まれるのは辛い…どこまで勝手な母親かしら…。
でも、“希望”だけは…残して置いてやりたかったの…。この子がそれを、選ぶ事が出来る様に…。』
そして、ゾロの母親はパンギーナとウソップに言った。
『パンギーナ…ウソップの中に、言霊を封じてもいいかしら…?
そして、その時が訪れたら…ウソップから全てが語られるように…。ありがとう…ごめんなさい
…ウソップ…あなたにこんな事を頼んでごめんなさいね…今、おばさんが言ったこと…今は忘れて…
けれど…その時が来たら、あなたはこの言葉をゾロに伝えてね…。
ありがとう…ウソップ…ゾロと、仲良くしてやってね…。』
蒼天は、翠天に愛された。
交わる事で翠天の子を孕み、産み落とし、そのため全ての力を失い、実体を保たせることが出来なくなり再び混沌に返った。
ゾロの力さえ封じれば、相手の命を喰らい、死なせてしまう事もない。
「あの時、おばさんはそう言ったんだ…!!」
「………。」
「ゾロが望めば、あの封印は解けるようになってた!!お前と結ばれて、ゾロは望んだんだ、力を得る事を腹の底から!!」
サンジの手が、ウソップの両腕を掴んだ。
「エネルのあの力が、…ゾロのものだって言うのか…?」
「…そうだ!そしてあの力は、本来の自分の器を見つけて戻りたがってる!!
だけど交わされた誓紙の条約が、それを阻んでるんだ…おばさんはそう言ってた…
くそ…決して成されることのない条約…?なんだよ!?どうすれば、何の様にはならないって…?
…それさえわかれば、エネルからあの力をゾロに取り戻せるのに!!」
と、ルフィが言う。
「成されることのできない条約ってんなら、わかったところでどうしようもねェ。」
「!!そりゃ…そうだけど…!!」
「だったら、ここでワケのわからねェ事を考えてるより、エネルをぶっ飛ばしに行く方が早ェ。」
一瞬黙りこんだウソップの手を、サンジは強く握った。
「ルフィの言う通りだ。」
「サンジ…!」
「ありがとう、ウソップ。」
「………。」
「頼む…もう、止めないでくれ…。」
「…サンジ…。」
なんだってこいつらは。
揃いも揃って同じ事を…。
「ああ、そうだ…姉さんに会ったら伝えてくれ。…“ごめん”って。…それから…ルフィ。」
「ん?」
「フランキーに伝えてくれ。“幸せにしてくれ”って。」
「は?誰を?」
「…言えばわかるさ。…お前も、ナミさん大事にしろよ。」
「おう!それは当たり前だ!!」
「ははっ!!そうだな!!」
「オイ!サンジ!何遺言みてぇな事言ってんだァ!?」
「ああ、悪ィ。忘れてくれ。」
サンジは空を見上げた。
自らが生み出した龍と、エネルの雷雲が絡み合い天空でのたうつ。
「…あれがゾロの力か…。」
サンジの唇に、かすかに笑みが浮かぶ。
「上等だ。」
不意に目がかすむ。
視界も薄れてくる。
それでも、行く。
「行くぞ、ウソップ。ゾロのヤツ、きっとヤキモキしてる。」
笑って、軽い口調で言うサンジに、ウソップはわずかに首を横に振った。
だが、
「おい、ウソップ。ゾロを正当な皇帝にするんだろう?その一番の家臣が、こんな所で泣いていていいのか?」
「…っ…。」
「行こう。」
差し伸べられた手を、躊躇うことなくウソップは握った。
サンジも、自分の力でウソップを死なせてしまうような恐ろしい感覚はなかった。
「行こう。」
「おう!!」
ルフィが言う。
「おれも行くぞ。」
「…お前はナミさんの側に戻れ。」
「んにゃ、サンジの側にいる。…おれ、サンジの役に立てるんだろ?」
「…お前に力は戻ってないだろ?まだ、エースの中だ。」
「…それがよ。」
ルフィはぽりぽりと頬を掻いた。
「実は、おれ、今日誕生日なんだ。」
「…は!?」
サンジとウソップが叫ぶ。
「おれ、18になった。期限だ。」
NEXT
(2008/5/15)
BEFORE
Piece of destiny-TOP
NOVELS-TOP
TOP