BEFORE




20年前。



ヴェローナの街は、血の抗争に明け暮れていた。



当時、ヴェローナを取り仕切っていた2大勢力、ロロノアとバラティエの2つのマフィア。

常に緊張関係にあった2つのファミリーの、その均衡が崩れたのは、

相次いだ両ファミリーのボスの死だった。

2人ともに、自然死などでは当然なかった。

片方は、乗っていたプライベートジェットの墜落。

片方は、食事中に起きたいきなりの心臓発作。

暗殺を疑うのは当たり前のことだった。



2人のボスにはそれぞれに、同い年の子供がひとりいた。



ロロノアにゾロシア。

バラティエにサンジーノ。



この2人が、ボスの座についた。



抗争の激化が目に見える情勢で、跡目争いなどしている暇はない。

ファミリーが団結しなければ、片方が片方に潰される。

それゆえ、それぞれがそれぞれの、一人息子をボスにした。



だがここで、大問題が起きた。



それは2人の息子たちに、ドンを名乗らせた1年後に発覚した。





2人はかつて、ありうべからざる関係にあった。





少年の頃、互いの立場を知らずに出逢い、気づいた時には深い仲に落ちていた。



心も体も結ばれた関係。



これが、せめて男女であったのなら救いもあった。



互いに男。

モラル的には許されるはずもない。

何よりそれを、生理的にた易く受け入れられるものでもない。



その関係を隠したままボスの座についた2人を、周りが許すはずはなかった。

そして、人の心というものは不思議なもので、男同士の間で結ばれたその関係の場合、

どうしても、女のポジションにある立場の方が卑屈になる。



卑屈は、様々な悪感情をもたらし、その卑屈を見下ろす側はより傲慢になった。



互いの想いに、誇りを抱いているのは当の2人だけだ。



ボスの座に着いた時に、関係を終え、断ち切ったと宣言されても、それで納得などできるはずはない。

しかも、断ち切ったと言いながらも、実際に心まで断ち切った訳ではなかったのを、誰もが気づいていた。



ゾロシアも

サンジーノも



敵対しながら心では想い合い、なんとか平和的に相手とつき合おうとしても、

それを受け取る部下達は、どうしても歪んだ眼鏡で互いのボスを見てしまう。



苛立ちは、ひずみになり、ひずみはさらに心を荒れさせた。



わずかにすれ違っただけで、服の裾が擦れたというような愚かな理由だけで、

あまりにも些細な事で衝突は次から次へと起こり、ファミリーの人間達が命を落としていく。

時にそれは、それらの家族を巻き込み、一般市民をも巻き込んだ。



無関係の一般市民の家庭の娘が、ロロノアファミリーの幹部の家族と間違われ、バラティエ側に誘拐されて暴行され、

路上に捨てられるという事件が起きた時、ついに警察が捜査と制圧に乗り出した。

結局、犯人をサンジーノが引き渡し、その場はそれでケリがついたものの、

もはや、若いボス2人の力では、どうにもならない状態になっていた。



当然、互いの組織の幹部で、その座を狙うものも現れる。



混乱は絡み合う蛇の“とぐろ”の様に、複雑に入り乱れて収拾がつかなくなり始めていた。







 「…そんな時…仲介に乗り出してくれた奴がいた。

 ミラノの組織の大ボス、ボルサリーノ…通称・黄猿。」



フランキーの口から出たその名、ゾロでさえ聞いた事がある。

表向きはイタリアの大手金融会社の会長に収まっているが、実はヤクザの大組長だ。



 「…互いのファミリーの混乱を抑える為に、反乱分子を一掃し、

 ヴェローナを2分割して、さらにゾロシアとサンジーノに条件を与えた。」

 「………。」



ロビンはずっと、目を閉じたまま一言も発しない。

覚悟を決めたのか、とても落ち着いた穏やかな顔だ。



 「…それぞれに、次のボスを作れと命じた。」

 「…次の…?」

 「子供を作れということだ。」

 「………。」

 「まだ、互いに惚れ合っているなら、それを本気で断ち切れという意味だと思った。

 だが、黄猿の出した条件は、そういう意味じゃなかった。奴は言った。

 ……“生まれてきた子供を、互いのファミリーで交換して育てろ。”」

 「交換…!?」



思わず、ゾロは叫んだ。



 「人質よ。」



ロビンが言った。



 「お互いに、ファミリーに自分の子を置いて、人質にしろという意味なのよ。」

 「………。」



サンジの眉が寄せられた。



 「……敵の中に自分の子を……ファミリーの人間たちにとっても…自分たちのボスの子が…

 次のボス候補が…相手の組織にいる…そう考えたら、些細な事での衝突はできない…

 互いに牽制し合いながら…両勢力が並び立つことができる…。

 周りから見れば、こんな好条件はなかったかも知れないわ…拒めば、黄猿はきっと…

 ヴェローナを乗っ取っていたでしょう…2つのファミリーを潰してね…そういう男よ…。」



ふっと大きく息をつき、フランキーはロビンの言葉を継いだ。



 「…ああ…おれもそう思う…。だが、サンジーノは初め拒んだ…。」

 「ゾロシアもよ。」

 「…心底惚れ合うってのは…こういう事だとその時知った…サンジーノは本気でゾロシアを愛してた。」

 「…ゾロシアも…激しく憤っていたわ…“あいつ以外の人間なんか抱けない!”って…。」



ゾロは、静かに尋ねた。



 「…親父は…バラティエの人間だったのか…?」



はっとした顔で、フランキーは苦笑いを浮かべる。



 「あ、ああ…肝心な事を言ってなかったな…そうだ…おれはバラティエの人間だった。」

 「…ロビンが…ロロノアの…。」



サンジの言葉に、ロビンはうなずく。



 「……ロロノアファミリーの一員だったわ……汚い事もたくさんしてきた…。」

 「………。」

 「…軽蔑していいわ…ゾロ…。」



ゾロは首を振った。



 「おれは…おれの母親のロビンしか知らねェ。」

 「………。」



寂しい笑顔。



 「…ゾロシアに拾われたの…もし、あの時…ゾロシアに会えなかったらって思うと、

 今でも恐ろしいわ…きっと…こんな幸福を知らないまま…

 ヴェローナの共同墓地の穴で、死んでいてもおかしくなかったもの……。」

 「………。」

 「…ゾロシアの為なら…命も捨てられたわ…。」

 「………。」

 「…愛してたんじゃないの…尊敬してた…。ボスとして、心から…。」



ロビンは手を伸ばし、サンジの手を握った。



 「…だから…あなたを育てさせてくださいって…言ったのよ…。」

 「………。」



ゾロが



 「…だが…おれ達は生まれてる…結局…黄猿とかいう奴に負けて、

 お互いの気持ちを裏切って…!!」

 「違う!!」



フランキーが叫んだ。



 「違う。」

 「…何が違う…惚れてもいねェ女に、おれ達を産ませたんだろ…!!?」

 「違うわ。」

 「違くねェ!!」

 「違う、ゾロ。」



サンジ。



 「……おれに、母親はいない。」

 「………。」

 「…本当だ…。」

 「そんな訳…。」

 「…正確には…“産んだ”母親はいる…“卵”だけの母親も。」

 「……何……?」









見つめ合うゾロとサンジの姿。



まるで



20年前を見ているようだ。







フランキーとロビンの記憶は、共に20年という川の流れを遡っていた。









あの時も、2人はこうして見つめ合っていた。



密かにに繋ぎを取り、夜陰に紛れてガルダ湖にクルーザーを出した。

イタリア最大の湖の上。

密会には絶好の場所だ。

だが、今夜の逢瀬は、決して愛を語らうためのものではない。



 「……本気か?ゾロシア…?」

 「………。」



長い沈黙の後、サンジーノは青い目を曇らせながらゾロシアに問う。

夜の水面に照らし出された白い顔は、ひどく蒼ざめて見えた。

実際に、蒼ざめているのだろうと思いながら、ゾロシアは答える。



 「……本気だ。」

 「………。」

 「この方法なら、互いを裏切る事はない。黄猿の条件を受け入れることにもなる。」

 「……子供は道具じゃない……。」



絞りだすような苦しい声。



 「そんな風に自分が産み落とされたと知ったら…そいつらがどれだけ苦しむか…。」

 「………。」

 「…おれ達だって…どれほど自分の生まれを呪ったか…。」

 「………。」

 「…おれは嫌だ…生まれた事が苦しみになるような…そんな人生…。」

 「………。」

 「…嫌だ…。」



互いが『ドン』と呼ばれる様になってから、例え二人きりになる事があっても決して触れようとはしなかった。



だが



 「………!!」

 「………。」



堪えきれない。

どんな辛い立場になっても、どれほど禁じられても、想いは消えない。

消すことができない。

あれからごく稀ではあったが、顔を合わせる度に、サンジーノの顔に苦しさが募っていった。

状況が酷くなればなるほど、ゾロシアの愛した明るい笑顔は失われていく。



こうして、この腕に抱くのは何年振りだろう…。



まだ、街の悪ガキだった頃、そうとは知らずに出逢った。

初めは、ケンかばかりだった。

だが一緒にいると楽しくて、肩に背負っていたものがすっと軽くなって楽になれた。

後で考えるに、自分達が同じ立場の人間であったからこその、共有された感覚であったのだろう。



ずっと一緒にいたかった。

離れたくなかった。

誰にも、触れさせたくなかった。

何にも、傷つけられたくなかった。



だから



互いに触れ、結ばれる事を望み、互いの心を繋ぎ合わせて、肌を重ねた。



若さが、愛と、肉体の快楽を混同させるのは仕方のないことだったが、真実、2人は愛しあっていた。

やがて2人は、心も大人に近づき、自身を取り巻く周囲の状況をようやく見た。

そして、知ったのだ。



互いが、敵同士にある事を。



だが、坂を転がる石のように、激流を下る水の様に、心はもう止まらなかった。



自分達が、ヴェローナに生まれた事を皮肉に思った。

いっそ、ロミオとジュリエットの様に、体を重ねて死んでしまおうかとも考えた。



しかし



子供の時から、ロミオとジュリエットを愚か者だと思って育ってきた。



死出の道は1人きりだ。

天国などありはしない。

まして自ら命を断った2人には、天国での幸福などないのだ。

生きて、心を結んでこその愛。

死ぬことは、相手への最大の裏切りだ。



想いは、生きているからこそある。



ゾロシアの決断が、自分への愛なのだという事はわかっていた。



苦しみ、答えを出せないサンジーノより先に、ゾロシアが答えを出した。

ゾロシアが、導いてくれた。

サンジーノの為に。



腕の中で、サンジーノはうなずいた。



 「……ひとつだけ…いいか……。」

 「ああ…。」

 「…“その時”は…お前がおれを抱いてくれ…。」

 「………。」

 「…ひとりで…自分でなんか…いやだ…。」

 「………。」

 「…お前と抱き合って…思いっきり愛し合って…そうして生まれてくる子供なら…愛してやれる…。」

 「……ああ……。」

 「………。」

 「…おれも…同じ事を考えてた…。」

 「………。」

 「…それだけは…譲らねェ…。」



もう一度、互いを固く抱きしめて、口付けを交わす。



名残惜しげに何度も唇を重ねながら、それでも、その時も彼らは耐えた。



側にいるのは、フランキーとロビンだけだった。

黙っていてくれる、唯一心を許せるそれぞれの部下たちだったが、それでも耐えた。



広いクルーザーだ、前部の甲板に居る2人のボスの会話は、2人のいる船室まで聞こえてはこない。

闇の間、背を向けて黙っているつもりであったのに、それでも2人は、それ以上を望まなかった。





その一夜を、ファミリーは許した。



それが、ボスからの唯一の条件だった。



2人は、精子だけを採取して、人工授精で子供を作る方法を望んだ。



ゾロシアの縁者の女性の中から、何人かに卵子を提供させ、それにサンジーノの精子を体外受精させる。そして、

サンジーノの縁者の女性にゾロシアのものを。

そして、決して素性を晒さない、どこの誰かわからない、

産んだ後は高額な報酬を受け取って後腐れなく消えるという契約を交わした女の腹に、受精卵を植えつける。



その為の、最後の逢瀬はヴェローナのホテルで行われた。



ホテルのワンフロアを貸しきり、2人の部屋の隣には医者が待機し、ボルサリーノの監視までついた。



そんな物々しい中で



どんな屈辱にも耐えられると思った。

その日まで、その日、その日から、どんな目で見られてもかまわない。

耐えてみせると互いに誓い、許されたただ一夜に全てを賭けた。



先に部屋で待っていたのはゾロシアだった。



案内されて入ってきたサンジーノを、わずか一時さえ惜しんで抱き締めた。



貪るように口付け、肌に触れた。



豪奢なベッドの上で、2人はまず“義務”を果たし、そして









夜明けまでが許された時間だった。



声は、名を呼ぶ為にあった。



愛撫のキスの痕を、白い肌の至る所につけていった。



互いが望むままに、感じるままに、絡み合い、睦み合い、愛を吐き出し合った。



ゾロシアの愛撫は激しく、サンジーノは裂かれんばかりの疼痛を受けたが、想いの強さは痛みを凌駕した。



もっと もっと もっと強く



もう一度 もう一度



一度が終わる度に、また次を求め、あらゆる体位で互いを結んだ。



決して、何も生み出さない行為のはずだった。



だが、生まれてくる。



おれ達の命が。



互いの命を託し合い、育てていく。



 「…大丈夫…愛せる…。」



サンジーノのつぶやきに、ゾロシアもうなずく。



汗と体液に濡れた体。

悦楽の嬌声に枯れた声。



力尽きる事を、これほど恨んだ事はない。

陽が昇り、夜明けの明星が煌めく事を、これほど呪った事も。







一夜の宴の1年後



サンジーノの元に、ゾロシアの子が連れてこられた。

ゾロシアによく似た、綿毛のような緑色の髪を、サンジーノは愛しく撫でて抱きしめた。



 「……ゾロ……お前の名はゾロだ。」



生まれたばかりの赤ん坊の唇が、嬉しそうに微笑んで見えた。



そしてその4ヵ月後、ゾロシアの元にサンジーノの子が連れてこられた。

金の髪に白い肌、開かれた瞳は美しい海の色だった。



 「……サンジ。」



ゾロシアの部下が彼の微笑を見た、それが最後の日だった。



ゾロシアは、その日からまったく笑う事をしなくなった。





 









(2009/5/8)



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