BEFORE
「なんで…おれとサンジの誕生日に開きがあるんだ?」
ゾロが、素朴な疑問を母にした。
ロビンは小さく笑い
「…体外受精なのよ…一度で成功する事は稀だわ…。ゾロシアは2度目のそれで…
サンジーノは4度目の、最後の挑戦で着床したそうよ…。」
「…もし…片方しか生まれなかったら…どうするつもりだったんだ?」
「…さぁな…。」
フランキーはそう答えたが
本当は
その場合、生まれた片方は、闇に葬ることになっていた。
騒乱の種にしかならない役に立たぬものを、生かしておけるほど寛大ではない。
だが、ゾロシアとサンジーノの2人ならおそらく、生かす方法を模索したであろうが。
それぞれのファミリーの中で、ゾロとサンジは育てられた。
バラティエで、フランキーがゾロを。
ロロノアで、ロビンがサンジを。
その頃、フランキーはフランキーでなく、ロビンはロビンではなかった。
カティ・フランコ、というのがフランキーの、ニコ・ロビータ、というのがロビンの本当の名だ。
互いに連絡を取る事もなく、だが至って平穏に、特殊な事情を除けば、それぞれはごく普通の子供として大きくなっていった。
敵のボスの子供でありながら、それでも、子供の愛らしさはヤクザの心すら癒す。
2人とも、ファミリーの中で愛されて育っていった。
あの日
までは…。
その後の運命はあの日に決まった。
ゾロと、サンジと、フランキーと、ロビンと。
そしてゾロシアと。
2つのファミリーの運命は。
霧の深い朝だった。
それを初めに見つけたものは、誰か、タチの悪いイタズラをしているのだと思ったという。
それだけ、その姿は華麗で、表情は穏やかだった。
場所は、ヴェローナ市内にある、通称「ジュリエットの家」。
シェイクスピアが、この家をジュリエットの家に見立てたのだという古い建物。
その、ジュリエットがロミオを待ったであろうバルコニーで
サンジーノは死んでいた。
心臓に、深々と刺さった銀のナイフが致命傷だった。
その表情は穏やかで、他に傷はなく、わずかに苦しんだ跡もなく、警察は、自殺か他殺か決めかねた。
サンジーノの死に、ゾロシアは狂うかと誰もが思った。
だが、その報せを聞いたゾロシアは
「…そうか…。」
と答えたのみで、それ以上何もしようとはしなかった。
その態度が
「サンジーノを殺したのはゾロシアではないか。」
という噂を生んだ。
サンジーノが、あれほど苦しんだ様子もなく死んだのは、刺した相手がゾロシアだからだと。
現世で結ばれないのなら、せめて来世で。
そう口で言いながら、ゾロシアは生き延びたのではないか。
いや、あるいは
心変わりしたゾロシアが、サンジーノを消したのではないか。
では目的は?
バラティエファミリーを乗っ取る為…。
「街に流れた噂を、ゾロシアは否定もしなかった。」
「………。」
ロビンが、苦しげな声で
「…ゾロシアの心は…既に死んでいたのよ…サンジーノと一緒に…。」
「………。」
「でも、かろうじてゾロシアは生きていた…あなたがいたからよ…サンジ…。」
サンジは、悲しく微笑んだ。
微笑んで、ゾロを見る。
「…そうだ…サンジーノが死んだと…ゾロシアは狂いそうな感覚の中でそれを瞬時に認め受け入れた。
あがこうが叫ぼうが、事実が変わる訳じゃねェ。恐ろしいまでにゾロシアは冷静だった。」
「…フランキー…。」
背を丸め、顔を覆うフランキーの肩に、ロビンはそっと手を置いた。
「再びヴェローナは荒れた…血と怒号と炎と…一時、観光客も街に入れず…戒厳令下のようだった。
ボスを失ったバラティエは、にわかボスを立てたが巧く機能するはずもねェ。
しかも、ゾロシアへの怒りは増す一方だ…どうなると思う?」
ゾロが、落ち着いた声で
「…怒りはおれに集中するな…。」
「………。」
フランキーはうなずいた。
「…ファミリーの連中が…皆お前を殺せと詰め寄った。
サンジーノが死んだ今、ゾロがバラティエにいる意味がねェ。ジャマなだけだ。
憎いだけだ。…おれは…お前を連れて逃げた…どこへ逃げる?ゾロシアの元しかねェだろ?」
「…ずっと…ゾロシアとサンジーノの繋ぎをしてくれた人がいてね…その人を知っているのは私とフランキーだけ…
その人を介して、フランキーはゾロシアの元に逃げてきたの…ゾロを連れてね…。」
「………。」
「あなた達は…2歳の頃に逢っているのよ…ほんの少し…数日しか一緒にいなかったけれど…あなた達はすぐに仲よくなって…。」
ゾロとサンジは、驚いた顔で互いを見た。
「だがゾロシアは…ゾロを見てこう言った…。」
「………。」
ロビンが、ゾロの手を握る。
「『こんなガキは知らない。』」
「ゾロシアは……もう狂っていたのよ……心は…サンジーノの死で砕かれていた……。」
「………。」
「その時…ゾロシアが守りたかったのはサンジーノの血だけ…サンジだけだった…。」
沈黙が続いた。
ゾロシアの愛は、サンジーノだけのものだった。
だから、引き取った彼の子供のサンジを愛しはしたが、サンジーノに渡した自分の息子ゾロに、欠片ほどの愛情もなかった。
「……サンジ。」
フランキーが呼ぶ。
「…お前も連れて行こうと思った…。」
「…え…?」
ゾロシアは、冷たく言い放つと、背中を向けてゾロの前を去っていった。
優しい言葉はおろか、一瞥すらせず、冷たく切り捨てた。
その記憶はゾロにはないが、フランキーとロビンは深い絶望を抱いた。
これほどまでに、激しく狂った愛を知らない。
「…ロビータ。」
「………。」
「…サンジと一緒にここを出よう…。」
「…え…?」
「…こんな場所に…あんな野郎の元に…サンジを置いておけねェ!!」
「………。」
「…あんな野郎を頼ろうとしたおれがバカだった…!!…一緒に行こうロビータ!!どこか遠くで、おれ達で2人を育てよう!!」
「…でも…フランコ…!」
それは、裏切り行為だ。
「…逃げ切れる訳がないわ…!!どこへ逃げたって追っ手がかかる…!!」
「やってみなけりゃわからねェだろう!?…このままでも…いずれこいつは殺されちまう…!
だったら、おれは逃げるぞ!!わずかな可能性でも、おれはこいつを生かす道を選ぶ!!
もう、こんな極道の世界と関わらずに、まっとうな人間として生かしてやりてェ!!ゾロを!!サンジも!!」
「………。」
「…行こう…!!」
この男の激しさも、優しさも、何もかもをずっと見てきた。
激しく愛し合う2人の側で、2人で一緒に見守ってきた。
もし、この男と一緒に、ごく普通の女としての幸せを、求めていいのなら…。
「…サンジを連れてくるわ…待っていて…。」
ゾロは2歳になったばかりだった。
サンジは、まだ2歳になっていなかった。
眠っている2人を起こし、抱きかかえて、ロビンとフランキーはヴェローナの街を出た。
車を盗んだ。
早く走る車が欲しかった。
必死に、スイス国境への街道をひた走った。
夜陰に紛れて山を越えれば、なんとか逃げ切れる。
ゾロとロビンだけを連れて逃げれば、あるいはそのまま見逃されたかもしれない。
だが、サンジが一緒だった。
追っ手はすぐにかかった。
逃げたゾロとフランキーを、バラティエファミリーも追った。
だが、三つ巴の逃走劇は一晩で終わった。
激しい銃撃戦とカーチェイスの果てに、バラティエの追っ手は壊滅し、
ゾロとサンジを抱いたフランキーとロビンは、あと少しでスイスという山道で追い詰められた。
絶体絶命の中で、まさかと2人はわが目を疑った。
ゾロシア自身が、彼らを追ってきたのだ。
「サンジを寄越せ。」
冷たく、それだけを言い放った。
ゾロなど眼中にない。
が、ふっと、ゾロシアの目が、フランキーの腕の中のゾロを見た。
「………。」
ゾロにとっては、何の情愛も持たぬ父親。
今、自分を必死に守ろうとしている“父”に、冷たい銃口を向けている“敵”を、ゾロは幼い目で睨みつけていた。
ロビンの腕の中で、サンジは震えて泣いていた。
声を出さずに、押し殺すように。
そして
「…サンジ…。」
ゾロシアが呼んだ。
すると
「………。」
サンジは、ロビンの腕の中から大きく身を乗り出して、ゾロシアに手を差し伸べた。
「…ぱぱ…。」
気力の萎えた腕から、サンジはゾロシアの元へ駆けていった。
小さな体を抱き上げると、ゾロシアは振り返りもせず――――。
「ドン…どうします?」
部下の問いに
「…撃て。」
愛情を持てと、そんな甘いことをいうつもりはなかった。
だが
あんまりじゃねェか!!
「ゾロシアァァァァ――――!!」
「背中の崖に飛び降りた…撃たれて死ぬのはシャクだったからな…。」
「………。」
「…幸い…雪が厚く積もっていて…助かったのは奇跡だったかもしれない…。
でも、こう思ったの…雪があまりに白くて綺麗で…サンジーノが助けてくれたんだって…。」
「………。」
「…その後…なんとかしてアメリカに渡って…偽の身分証明書を手に入れて…。」
「…あちこちさ迷った…けどな…やっぱり…サンジの事だけが気がかりだった…。
できるだけ、イタリアの近くにいたかった…国内やシチリアじゃすぐにバレる…だから…コルシカを選んだ…。」
「…海の向こうにあなたがいる…そう思うだけで満足だったの…それなのに…。」
サンジは笑う。
「…おれが来るとは思わなかった…。」
「…思う訳がないわ…そんな夢みたいな偶然…。」
「……偶然じゃない……。」
「…え……?」
サンジがそれに答えようとした時、ゾロが突然ドアを開け、外へ飛び出した。
「ゾロ!!」
ロビンの声にも振り返らない。
「ゾロ!!」
サンジが追った。
「待って!ゾロ、待って!」
ロビンも、追おうとしたが
「待て、ロビン!」
「………!!」
「…サンジに任せろ…。」
「………。」
「…大丈夫だ…。サンジは…何もかも知ってる…。」
「………!」
「…大丈夫だ…。」
これが、普通の幸福だと思っていた。
両親がいて、家があって、毎日ちゃんとメシが食えて、学校にも行った。
仕事も楽しい。
友達もいる。
親友と呼べる相手もいる。
そして今は、愛する相手も側にいる。
偽ものだとは思わない。
父も母も、本当の両親に違いない。
話に聞くあんな父親に比べたら、フランキーの方が真実の父親だ。
なのに
「………。」
苦しいのはなぜだ…。
葡萄畑を抜けた丘の上の草原で、ゾロはやっと足を止めた。
空に、昨日より少し膨らんだ半月。
自分が生まれた時、喜んでくれたたった一人の人。
あまりに悲しい。
最期にあの人は、愛を語ったバルコニーで何を思った?
問わなくてもわかる。
一体誰が、あなたを殺した?
「…ゾロ…。」
声に振り返り、ゾロはサンジを見た。
あの人と同じ、優しい青い瞳。
「…お前…おれが誰かすぐにわかったのか…。」
「………。」
「…初めておれを見たお前…驚いた顔をしていた…。」
サンジは少し俯き
「…お前が…。」
「………。」
「…ゾロシアにそっくりだったから…。」
「………。」
「…その瞬間に…わかった…。」
ゾロは、サンジに歩み寄り
「…ヴェローナは…その2つのファミリーはどうなった…?」
「…バラティエは壊滅した…ロロノアに乗っ取られ、吸収された…。」
「………。」
「……ゾロシアとサンジーノの繋ぎを取っていた人がいるって言ったろ?」
「…ああ…。」
「…その人が…きっとそれも…おれの為だろうって…。」
「…お前が…次のボスか…。」
「…そうだ…。」
「………。」
「…だから…今はこうして自由にさせてくれてる…。」
ゾロの手が、サンジの腕を掴む。
「…夕べの言葉に嘘はないか…?」
「…無ェ…。」
「………。」
「…嫌になっちまう遺伝子だよな…。」
悲しく笑って、サンジは言う。
「………。」
「…一目惚れするDNAってのが…あるのかな…。」
「…んなモンはねェ…。」
「………。」
引き寄せ、抱きしめる。
サンジーノが生きていたなら、自分は何も知らずに大きくなり、この男を『敵』として認識していたかもしれない。
自分の、遺伝子の父親を、そこまで狂わせた激しい恋。
その激しい熱を
サンジと出会って、それを理解できると思ってしまった自分が口惜しかった。
苦しむロビンとフランキーの前で、そう思ってしまったことが許せない。
1個のパンを分けて食べた。
一番大きい部分をゾロに与えながら、2人はさらに自分の分を半分にしてゾロに食べさせてくれた。
寒い夜は、2人の間に挟まって眠り、ひとつの椅子は必ずゾロを座らせてくれた。
ゾロが、剣道のフランス全国大会で優勝した時は、フランキーはみっともないくらいにわんわん泣いた。
学校の宿題での、母親への感謝の手紙を受け取ったロビンは、身を折って泣いた。
ベラ・ロッソの初めてのヌーヴォーを飲んだ時、3人で泣いた。
幼い時、自分を愛してくれた人は、柔らかなはかない幻。
「………。」
風が、金の髪をなびかせる。
半月に照らされた髪は、絞りたての葡萄の果汁の様に甘い雫を零している。
交わす唇を、そのまま首筋に滑らせる。
白いシャツの襟の中へ、そのまま顔を埋める。
堪えるような息が、耳元で洩れた。
そんな遺伝子は無いと言った。
だが、体内を駆け巡る熱は、腕に抱く相手の熱を欲して止まらなかった。
理屈は無い。
理性など要らない。
ただ欲しい。
草むらの上に、2つの影が崩れ落ちる。
風のざわめきが、衣と肌の擦れる音を掻き消す。
体を重ね、足を絡め、昂ぶり始めた互いを服の上から擦り合わせて、固く抱きしめあう。
父達の、激しい想いの中から生まれた自分達が、今またこうして結ばれる。
だがそれを、運命などという半端な言葉で片付けたくない。
この想いは、おれ達自身のものだ。
ゾロシアのものでも、サンジーノのものでもない。
「…サンジ…好きだ…。」
「…うん…おれも…。」
「…愛してる…。」
「…ん…。」
「…何があろうと…おれは…負けねェ…。」
「…うん…。」
草鳴りと、風の音。
交わされ、絡み合う2つの呼吸。
濡れた音。
ちかっ
ちかっ
「………。」
「………。」
シャトーの塔の上から、ルフィの毎夜の合図。
ちかっ ちかっ
ナミの家から
ちかっ ちかっ
ウソップの家からも。
「………。」
「……ゾロ……。」
ゾロは小さく微笑んだ。
サンジの唇を塞ぎ、肌を撫で
「―――――。」
秋の夜。
その晩は、その秋一番の寒さになった。
だが、2人の肌は熱く。
(2009/5/8)
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